客観的な快苦

傍から、どれほど苦痛が多く見えても、その人が死ぬ時に、自分の人生は幸福だったと思うならば、その人は人生の勝利者であり、幸福な人間と言えるのかもしれない。

考えても、結局人生というものはよくわからないが、今までどうも私は客観的な快苦の総量のあまりの不条理に立ちすくむことが多かったので、幸不幸という主観的なモノサシを、もう少し大事にしようと今日は思った。

あと、人生の不条理に対して、不条理だからといって、どんどんだめな方向にいくと、本当に人生の不条理に負けてしまうことになる、
不条理に打ち克って幸せをつかんでこそ、人生の不条理への最高の復讐であり、勝利だと、そんなことも考えてみた。

よくはわからないことばかりだが、とりあえず、そんなことを考えてみた。
つまりは
主観的に楽しく生きてこれなかったって事?

まぁ気持ち一つとはいっても
数式変えるようには簡単にいかないですからねぇw
せめて無い物ねだりで苦しむようなことは無いようにしたいものです
いやあ、自分としては、まあまあ楽しいんだけどねw

そうだね〜、無いものねだりは、一番いけないかもね。
他人が不幸かどうかは一概に決め付けないこと、と、
自分は主観的にはなるべく幸せであろう、ということは、
なるべく心がけていこうかと思います。